続 名人竿師 河津の山下竿
- izukawabata

- 7月7日
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更新日:7月13日
昭和初期、岐阜長良川へ伊豆から流れてきた鮎釣り師がいた。その人山下福太郎は、長良川へ友釣りの新技法を伝えた人物として、今も当地で伝説的に語られている。福太郎はその後、熊野北上川上流の山村で客死。流転の旅を終えた。
福太郎の兄定次郎は、生業の床屋のかたわら鮎竿を作っていた。これが河津竿と呼ばれるものだった。素材は地元のヤダケ。重く強く、野趣に富んだ竿だったという。定次郎の竿は、昭和20年代、峠を越えて河津川へ出稼ぎ来た狩野川の職漁師によっても盛んに使われた。・・・・・次回は 河津の竿師、山下武氏を紹介
世界文学社S59年6月号発行のアユ生態と釣法の名人竿師と地方竿からアップしております。詳しくは、岐阜県の里川文化情報誌「ごっちゃく雲」創刊号に、伝統の釣り師山下福太郎物語りが書かれている。
つづき
山下定次郎は川で倒れ死亡。製竿を本格的に作り始めた定次郎の遺志を継いだのが、私が知っている山下釣具店の主人の山下武さんです。
私は幼稚園、小学校、中学校と上河津の湯ヶ野にあった学校まで片道1.5キロの道のりを歩いて通った。東海バスの湯ケ野駅の斜め前に山下釣具店は有った。学校帰りはよく寄っていた思い出があり竹竿作りをよく見た。よく寄っていたのは今思えば釣り道具以外に奥さんが駄菓子や当くじ,メンコやベイゴマなぞを売っていて寄ったのかよくは覚えていないが、竿つくりを覚えているのは、学校に通う道沿いにあったからで、当時の湯ヶ野温泉は栄に栄えていた。武さんは毎日毎日鮎友釣りの竹竿作りに専念していた。よく覚えているのは火に竹を炙って曲がりを伸ばす、板の先が穴があいていた道具で伸ばすしぐさは、竹を目の近くに構え元から先に片目つむっての作業を繰り返ししていた。道具もいろいろあった竹の中のふしを抜くのか先がノミのようなものが大小いっぱいあった。仕事場の周りから奥まで束ねられた竹竿がいっぱいで、これは九州産だ千葉産だと言っていた、竹に囲まれて仕事をしていた。この上河津村の山下釣具店の武さんの作り上げた山下竿がこんなに有名とは知らなかった。調べてみると山下武さんは昭和33年、河津川を訪ねた日本フィッシングタックルの川村富次郎さんと知り合い、東作、東春を紹介されて製竿技術を学んだ。
その後、島田汀石師匠とすることにより経歴を付け加えた。
地元釣り師は山下竿に憧れ欲しかったが立派すぎて、また高価で手が出なかった。


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